主君織田信長を滅した本能寺の変。そして明智光秀もまた時代の波に呑まれていく。彼の動機とは、何故滅びゆく運命を辿ったのか。物語の鍵を握る「四つの椀の理」を軸に描かれる、滅びゆく者の運命を描く一冊。
「光秀の定理」の紹介
こんにちは!歴史小説大好きのなごむです!!
本記事では垣根涼介さんの「光秀の定理」を紹介させていただきます。
あらすじ
永禄3(1560)年の京。
牢人中の明智光秀は、若き兵法者の新九郎、辻博打を行う破戒僧・愚息と運命の出会いを果たす。
光秀は幕臣となった後も二人と交流を続ける。やがて織田信長に仕えた光秀は、初陣で長光寺城攻めを命じられた。
敵の戦略に焦る中、愚息が得意とした「四つの椀」の博打を思い出すが――。
何故、人は必死に生きながらも、滅びゆく者と生き延びる者に分かれるのか。
概要
本書では、明智光秀が本能寺の変を起こした動機・滅びていった訳を、架空の人物である兵法者の新九郎と破戒僧の愚息の目線から描いています。
光秀と新九郎・愚息との出会い、光秀の出世、そして光秀の動機を新九郎・愚息が明らかにするという構成になっています。
ここでのポイントは光秀の目線だけではなく、大きくは新九郎・愚息という架空の2人の目線から描かれている点です。
光秀の目線から本能寺の変を描く、などの作品はあると思いますが、動機を他の目線で描くという点が新鮮でした。
また、本書では「四つの椀」というある確率論が鍵となり話が展開されていきます。
この確率論を元にして滅びゆく者の運命を語る、そんな切り口がとても面白かったです!
「光秀の定理」の基本情報
■題名
光秀の定理
■著者
垣根涼介
■出版社
角川文庫
■発売日
2016/12/22
「光秀の定理」の見所
読者を引き込む確率論の絡め方!
本書の鍵となるのは「四つの椀」という愚息が用いている博打の手法になります。
簡単なルールは以下になります。
1.親が四つのお椀のうち一つに石を隠す。子は見ないようにする。
2.子が石が入っていると思われるお椀を一つ選ぶ。
3.親が、子が選んだお椀ではなく、石が入っていないお椀を二つ開ける。
※場にお椀が二つとなり、そのうち一つに入っている。
4.子が選び直す権利を与えられる。
5.答え合わせをする。
ポイントは4番目の「選び直す権利を与えられる」という点です。
この時、場にはお椀が二つ、そのうち一つに石が入っている状況です。
子は、最初に選んだお椀のままにするか、それとも変えるのか、という選択肢があります。
おそらく、直感では「2分の1だから変えても意味ないのでは?」と思うのではないでしょうか。
作品中でも、愚息以外の新九郎・光秀、他の面々も同様の考えを持ちますが、結論としては変えた方が勝てる確率が上がります。
これは「モンティ・ホール問題」という確率論の問題で、直感的に導く答えと、論理的に導く答えが異なる問題の適例とされています。※詳細はwikipediaに解説がありますので、気になる方はご覧ください。
本書では、「四つの椀の理 = モンティ・ホール問題」を、生き残る者の理として扱っているのが面白いです!
私の解釈としては、生き残る者とは、選択を変える柔軟性をもつ者と解釈しました。
最初の選択肢を与えられた時と、次の選択肢が与えられた時、状況が同一ではない。
変化を見定めて、適切な選択肢を見極めることが肝要である、という解釈です。
ネタバレになってしまうので詳細は控えますが、光秀は身を起こした時と立身した時で志を変えられなかった、それが滅亡につながったのだと思います。もちろんその生き様が光秀の良さだと思いますが。。
愚息が光秀のことを回想したときの言葉が印象的でした。
四つの椀が二つになったときに、その初手の選択が変わるように、世の中も変わっていく。ぬしが変わらなくても、ぬし以外の世の中は変わっていく。やがてその生き様は時代の条件に合わなくなり、ごく自然に消滅する。
新九郎の成長と愚息の人生観!
この物語は新九郎という兵法者の若者と、僧でありながら戒律に従うことはなく我が道をゆく破戒僧の愚息がメインとなり話が進んできますが、2人のやりとりがとても面白い一作となっております!
元々関東で育った新九郎は、京で高名な兵法の道場に一戦を挑みに上京してきます。
が、食うものにも困り、辻斬りをしようとしたところ、「四つの椀」にて賭け事をしている愚息と出会います。
「四つの椀」のトリックを聞いた新九郎ですが、愚息からは「凡人」と評されてしまうように、物語の当初は思考に深みのない一端の若者でした。
ただ彼は、愚息と過ごし、愚息からの言葉を受け入れていくにつれて、自身で理の見つけ方を理解します。
物事の理は、自分で汗をかき、必死に実感として分からぬ限り、人様から聞いても何の役にも立たん。
彼は自身の生きる道である兵法からこの理の見つけ方を理解しました。
愚息と過ごすにつれ、落ち着きのあり、思考を重ねられる人物に成長していく姿はとても見応えがあります。
これには愚息と過ごしていることが大きく影響をしているのですが、彼の語る人生観、生きる理は、読者に対しても何かのヒントを与えてくれる、そんな作品だと思います。
どんなに辛かろうが、そこで足掻こうが足掻くまいが、やがて今という時間は過ぎていく。全てはすぐに過去となり、よければ良いなりに、悪ければ悪いなりにおさまっていく。その世界で安定して、また気楽に息ができるようになる。気楽に息ができるようになれば、また新しい世界も見えてくる。
まとめ
明智光秀と本能寺の変という、有名所を扱った作品にもかかわらず、確率論を交えて話を展開することにより、一風変わった作品になっていると思います。
現代に生きる者へのヒントも込められていると思います。
歴史好きでも、そうでなくても楽しめる作品となっているので、是非お読みいただければと思います!
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
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